小樽商科大学空手部の歴史
このページは、小樽商科大学空手部の創立から現在まで、様々なエピソードとともにその歴史を順に追って記載するものです。ただいま、資料の収集と分析を行い、関係者からお話を伺っている最中ですが、なにぶん相矛盾する資料も多く確認作業に手間取っております。
●平成19年8月5日に、槇師範、櫻庭先輩、宇佐美先輩に都内某所にお集まりいただき、とりあえず昭和30年から34年までの歴史・経緯についてまとめることができました。その際、宇佐美先輩が創部当時の日誌をもとに当時の思い出をお書きになりましたのでこちらをご参照下さい。
●平成19年12月末に、宇佐美先輩の後を引き継いで昭和34,35年度主将を務められた黒川先輩からお手紙をいただき、昭和34年から昭和36年までの活動記録をお教えいただきました。黒川先輩はご記憶の裏付けをとるためにわざわざ商大図書館に通われ、商大50年史や緑丘新聞などの資料を調査したうえで、正確な活動記録を作成されました。まことにありがとうございます。これで、空手部創立時の記録がだいぶ整ってきました。特に、全く写真の無かった空手部創立時において昭和36年の写真が発見できたことは、ホームページ担当者として非常にありがたいです。
今後、このページを徐々に充実させていきますので、OB各位の多大なるご協力をお願いいたします。写真・資料などをお持ちでしたら、「事務局・問い合わせ」ページをご参照の上、ご連絡願います。また、掲載された資料に関するご感想や思い出などもお寄せ願います。
昭和30年 7月頃 北大空手部より、商大にも空手部創立を、との打診
- 当時卓球部に所属していた櫻庭先輩宛に、北大空手部の江戸さんから、商大との定期戦を行いたいので商大にも空手部を作って欲しい、との依頼がありました。
- 当時、北大空手部は30名を擁する大所帯であり、空手部による定期戦の開催を希望しておりました。北大空手部の江戸さんは、櫻庭先輩の同期生であり同じ卓球部に所属していた向井先輩と高校時代の同期生であり、そのつてを頼って依頼してきたのです。
昭和31年 7月頃 空手同好会の発足
- 前年の依頼の後、北大空手部江戸さん、斉藤さんから櫻庭先輩宛に正式な依頼がありました。
- ただ、既に7月になっているので体育会として正式な部の設立はできず、櫻庭先輩が当時の体育担当教官である坂井先生に相談したところ、まず同好会にて実績を積むようにとのアドバイスをいただき、さっそく同好会を発足させました。
- 同好会会員は、櫻庭先輩が第3寮の寮長をしていたことから第1寮の原田寮長に依頼し、第1,3寮の寮生を集めて、以下の16名による発足でした。
- 会長 原田武生
- マネージャー 増成栄一
- 会員 櫻庭雅樹、二神正、林晃、丹下重明、宇佐美猪一郎、
- 関根寿夫、山本龍平、岡崎恒茂、新谷純一、菅野隆、
- 木村幸郎、櫛田亨、長倉陽一、山崎浩
- 宇佐美先輩が中心となって日々の練習を行っていましたが、月に一、二回程度、土曜日の午後に北大空手部より指導役のリーダーに来ていただく、という練習方法でした。
- 練習場所は体育館の片隅で狭かったのですが、出席者はせいぜい3,4名なので練習には十分であり、ときとして正面玄関前の前庭でも練習を行っていました。
- 同好会の会費は月額50円とし、その中から北大空手部より来ていただく指導役の方の交通費なども支出していました。ちなみに、当時の寮費は月額3,000円+電気代100円程度でした。
道着の整備
- 同好会発足時に道着をどうしていたかというと、北大空手部より貸していただいた道着と、手縫いの道着を着用していました。
- 手縫いの道着とは、櫻庭先輩が知り合いの女性からサラシを購入し、ご親戚に手本用の柔道着とともにそのサラシを渡して縫っていただいたものです。
- 以下の画像は、櫻庭先輩が保存されていた手縫いの道着の現物です。
画像をクリックすると、拡大表示されます。


- 最初は着数が少なかったのですが、後述する正法寺での初合宿に向けて追加で縫っていただき、最終的には10着ほど作っていただいたとのことです。
昭和32年 4月 空手部承認・発足
- 櫻庭先輩が学校側と交渉した結果、同好会での活動実績が認められ、正式に小樽商科大学空手部として発足することになりました。
- 当時は(今はどうなのでしょうか)北大との定期戦がある部については、それなりの予算が与えられました。空手部も初年度から予算が付いたのですが、練習場に鏡を設置したらそれだけで全部使い果たしてしまいました。
- 鏡以外のわずかな設備といえば、正門の左にあった守衛所の前に立てた巻き藁で、突きの練習に利用していました。
- 創立時の部員は同好会のメンバーがそのまま移行しましたが、幹部は一部交代しております。
- 顧問 坂井先生(体育担当教官)
- 部長 原田武生
- 主将 宇佐美猪一郎
- マネージャー 新谷純一 (後に関根寿夫に交代)
- 会計 岡崎恒茂
昭和32年 6月 5日〜11日 第1回合宿練習開催
- 空手部発足後も、主将である宇佐美先輩が空手部の練習をリードしていましたが、ロケットスタートを行うべく、正式発足後ただちに合宿を行いました。
- 合宿を行うきっかけは、宇佐美先輩がこの年(昭和32年)の5月に北大空手部の練習を見学に行き、その練習に感化を受け使命感を持ったことです。
- 合宿場所は、今でも商大の近くにある正法寺で、当時柔道部が合宿場所として利用していた関係で、宇佐美先輩と関根先輩が交渉してきました。合宿場所として提供していただく代わりに、毎日座禅をすることが条件でした。
- 正法寺は布団の貸し出しと食事の世話はしてくれましたが寝泊まりするための場所であり、練習は大学の施設内で行っています。
- 合宿期間中の練習時間は1日8時間で、授業には全く出席せずゼミですら欠席したとのことで、今とは隔世の感があります。
- 合宿期間中の練習の指導者として、北大空手部から斉藤さん、江戸さん、住友さん、田中さん、後藤さん、佐藤さんの各氏が手分けしてご指導くださり、しかも当時の和道流札幌支部長である庄内先生が激励と指導にお出でくださり、この合宿は未経験者ばかりの空手部員の体力と技術の向上に大いに役立ちました。
昭和32年 6月23日 対北大第1回春期定期戦開催
- 空手部発足初年度から、北大道場において定期戦が開催されました。当時のルールは不詳ですが、40.5対24で商大の敗戦という結果です。
昭和32年 6月29日 昭和32年度第1回昇級審査会
- 同好会時代から一年後、北大で開催された昇級審査会に初めて参加しました。
- 6級2名、7級1名、8級2名、という審査結果でした。当時は審査基準が厳しかったようで、活動開始1年後でこのような級をいただけたのは、ご指導いただいた方々のおかげだと思われます。
昭和32年 7月20日 北海道地区大学体育大会(?)出場
- 名称は定かではありませんが、大学同士が体育会系各部の成績を総合して競うという形式の大会に出場しました。室蘭で開催されたので、室工大が幹事大学だったと思われます。出場に至った経緯は、北大空手部から参加を要請されたから、のようです。
- 空手部門では最下位の8位でしたが、この大会への参加が対外公式試合への参加第一号と思われます。
昭和32年 9月14日 小樽市民体育祭参加、対北大秋期定期戦開催
- 花園スポーツセンターにおいて小樽市民体育祭が開催され、空手種目の演武において商大、北大、北照高校から各主将以下精鋭の選手が参加しています。
- 初めは小樽市から商大に参加依頼があり、大学から主将の宇佐美先輩に声がかかり、そこで北大空手部の応援を求めたので北大も参加、ということになったようです。
- このとき、北大から当時の槇初段が個人型と自由組手の部に参加され、これが槇師範と商大との最初の接点と思われます。
- また、同日の夕刻から緑小学校において、対北大秋期定期戦が開催されました。1対4で、商大の敗戦でした。市民体育祭と同日にしたのは、スケジュールをいっぺんに消化してしまおう、という目的からでした。
昭和32年11月 9日 昭和32年度第2回昇級審査会
- 商大体育館において昇級審査会が開催され、岡崎先輩が3級となり、商大空手部初の茶帯となりました。
昭和33年 2月 1日 北海道学生空手連盟委員会出席
- 当時は全国的な学生空手の組織がなく、各地方において独立した学生組織が存在したようです。この日、主将である宇佐美先輩が北海道の組織である北海道学生空手連盟の委員会に出席しています。
昭和33年 3月 第1回卒業生送別会
- 櫻庭先輩をはじめ、空手同好会時代から苦労された方々が卒業されました。
昭和33年 4月23日 新入生オリエンテーション参加
- 創部2年目から、新入生向けのオリエンテーションに参加しました。顧問の坂井先生が見守るなか、型、基本組手などの演武を行った模様です。その結果、3名の新入生が入部しました。
- 当時の幹部は以下の通りです。
- 顧問 坂井先生(体育担当教官)
- 主将 岡崎恒茂
- 副将 菅野隆
- マネージャー 新谷純一
昭和33年 5月24日〜29日 第2回合宿練習開催
- 前年の第1回合宿参加者は全員同好会時代からのメンバーでしたが、この合宿には新入部員が参加しており、受験をくぐり抜けていきなりの合宿はかなり辛かったことでしょう。
昭和33年 5月31日 昭和33年度第1回昇級審査会
- この審査会には、和道流札幌支部の岩井さんや北大から住友さん、田中さんにお出でいただきました。北照高校も一緒に審査を受けているので、商大空手部のみが対象ではなく小樽地区としての昇級審査会だったようです。
昭和33年 6月 1日 対北大第2回春期定期戦開催
- 1軍戦は1勝3敗3引き分けでしたが、黒帯抜きでオープン戦を行い、3勝4敗1引き分けと健闘しております。
昭和34年 3月 6日 昭和34年度幹部選出、第2回卒業生送別会
- 年度末にあたり幹部交代を行うとともに、空手同好会創立時から活動をリードされた宇佐美先輩がたの送別会を開催しました。幹部は以下のとおりです。
- 顧問 坂井先生(体育担当教官)
- 主将 黒川領平
- 副将 榎本広伸
- マネージャー 新谷純一
- 会計 岡崎恒茂
昭和34年 5月31日 対北大第3回春期定期戦開催
この対北大定期戦がテレビで報道され、黒川先輩がニュースに登場しております。その際のお話を書いていただきましたので、ここをクリックしてください。
昭和34年 9月 昭和34年度昇級昇段審査会 / 商大空手部初の黒帯誕生!!
- 商大体育館において昇級昇段審査会が開催され、空手同好会の発足時から精進を重ねてきた菅野先輩が初段となり、商大空手部初の黒帯となりました。
昭和34年 9月27日 対北大第3回秋期定期戦開催
昭和35年 3月 昭和35年度幹部選出
- 年度末にあたり幹部交代を行いました。幹部は以下のとおりで、黒川先輩が継続して主将に就任されました。
昭和35年10月 9日 対北大第4回秋期定期戦開催、昭和35年度昇級昇段審査会
- 定期戦は北大道場において開催され、0勝5敗でした。
- また同日、同場所において昇級昇段審査会が開催され、空手部初の新入生オリエンテーション(昭和33年4月開催)を見て入部されその後精進を重ねてきた黒川先輩が初段となり、商大空手部二人目の黒帯になりました。
昭和36年 3月 昭和36年度幹部選出
- 年度末にあたり幹部交代を行いました。幹部は以下のとおりです。
昭和36年 5月21日 対北大第5回春期定期戦開催
昭和36年 9月30日 全道大学体育大会出場 / 準決勝まで進出!!
- 昭和32年7月に出場した「北海道地区大学体育大会(?)」と同一主催者・同一形式の大会かは不明ですが、北照高校において開催された大会に出場しました。戦績は以下のとおりで、全道クラスの大会において準決勝まで進出したのは、非常に健闘したと言えましょう。
- 準々決勝 商大 2-1 帯畜大
- 準決勝 商大 1-3 室工大
昭和37年 3月 昭和37年度幹部選出
- 年度末にあたり幹部交代を行いました。幹部は以下のとおりです。
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以下、各OBからお預かりした貴重な写真を掲載します。なお、タイトルは写真を提供された方によるものです。これらの写真に感想や思い出がおありの方は、管理者までご連絡いただければ、写真への注記として記載します。また、お手持ちの写真がありましたら、管理者までご連絡下さい。随時追加していきます。
↓昭和36年度卒業アルバムより
- 昭和37年3月卒業、すなわち昭和36年度卒業生向けに製作された卒業アルバムからの転載です。撮影時期は、昭和36年の秋頃と思われます。お名前は、黒川先輩に入れていただきました。

黒川先輩提供
↓昭和42年の追い出し稽古
- 写真の裏には「昭和54年納会」と書いてありましたが、福原先輩に見ていただいたところ、昭和41年度中とのことでした。ただ、納会なのか追い出しコンパなのか判然としませんでした。
- しかし、平成20年3月に、このページをご覧になった昭和45年卒の松本先輩からご連絡をいただき、この写真は昭和42年2月頃(すなわち昭和41年度)に行われた、小島、塚原両先輩を送り出す追い出し稽古の後に撮影されたもの、とのことでした。先輩諸氏のおかげでまた一つ歴史が判明し、ホームページ担当者(藤田)としては感激の念に堪えません。ありがとうございました。

櫻庭先輩提供
↓昭和44、45年の追い出しコンパ
- 下記二点の写真については福原先輩(☆の分)と寺町先輩(無印の分)にお名前を入れていただきましたが、異同ありましたら管理者までご連絡下さい。


上二点の写真については、寺町先輩により部誌「和道」からコピーしていただいたものです。
↓昭和46年の新入生部活オリエンテーション 於:610番?講堂にて

寺町先輩提供
↓昭和46年5月 春合宿 総勢22名 於:蘭島海岸

寺町先輩提供
↓昭和46年 秋合宿 道場前にて

寺町先輩提供
↓昭和47年 春合宿 忍路小グランドにて

寺町先輩提供
↓昭和48年 国公立大学空手道選手権大会出場
- 寺町先輩(昭和49年卒)注
- 平田先輩(昭和42年卒)に、わざわざ東京から監督として随行していただきました。
- 1回戦、和歌山大学と対戦。惜しくも2対2の内容負けで、初戦敗退。
- 翌年、林主将を中心に勝ち上がり準決勝まで進出。第3位。


右から順に、平田、四ノ宮、江頭、寺町、中村、谷、斎藤、林
上二点、寺町先輩提供。
↓昭和55年追い出しコンパ 於:三河屋

櫻庭先輩提供
- 藤田(昭和57年卒)注
- 右上の情けない包帯姿は私です。追い出しフリーで中野先輩(前列右)と対戦して5秒後に強力な上段突きをくらい、右目の上を切り大流血しました。すぐに病院送りとなりコンパに復帰した時の写真です。出席者は、前列左から、坂西、田中(前)、谷崎(後)、今川、中野、那須(中腰)、後列左から、戸ノ崎、斎藤、大槻、塚崎、槇師範、藤田です。
↓昭和60年 夏合宿

白川君提供
↓昭和63年 春合宿 於:蘭島海岸

白川君提供
↓平成元年 追い出しフリー 部員とOBを囲んで

白川君提供
↓平成元年 追い出しフリー 和道会北海道大会団体戦3位の記念出場メンバー

白川君提供
↓参考までに、現在の曙荘(平成14年撮影)

藤田撮影
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