29.風流空手 風流曼荼羅 へ 生命体

2019/06/28 公開


 生命の、由来は扨措くとし、自然の動物達が古来よりの来たりし在方と、個体の成長過程を観る。

 生命体の、発生以来諸々は在らうが、個体として動物達の進化や成長と生存過程を観ると、人間は格技としての力学的な成立ちの、特性が考へらる。

 先ず、動物達の生存原点には、生き残る為の動作が在る。

 其が、本能としても、自然の中に於ける個体の生存は、他との仕事量(熱量)の奪い合いが原点で在る。

 自身への、熱量の獲得。其処に、生き残る為に多様な仕組みが備はり、基本は単純な所作で本能に在る。

 本能に勝る術は無い、其以前に自然に克つ知恵は無い。

 此の自然に近付く、そして本能に近付く事が、稽古で在り無限な悟りに近付く処で在らう。

 生命の、動き始めを先ず争いの起点と観て一般的な動物を観ると、四肢の押引が基本と為る。

 其処で、力学的な行動形態の基を考へると、上肢は引き下肢は押しに強い傾向が在る。

 生後、独立する迄親にしがみ付く上肢の引き付ける力が強く。成長すると、獲物を獲る飛び出す下肢の蹴る力が勝るで在らう。

 此は、基本的に本能的に維持されるで在らう。

 話の原点を、具体的に闘争手段とすれば、格技で在る空手術を単純に所謂動物達の生きる成長過程の力が主題と考へる。

 其処で、発生以来の本能から来る四肢の発達と上肢と下肢の用法が基点と為るで在らう。

 上肢の引く力と下肢の蹴る力は、本能的で在る。恐らく、此以外は如何に学習しても最終的には、此処に行き着く事と為ろう。

 唯、此に次ぐ思考過程の学習に拠る発達としての進化を、人間丈が発明した。此処に、技法の発見発明が在り、格技としての人為が発生する。

 此の、進化過程を本能のみに留めるか、発明の工夫を上乗せするかは、此処の裁量・工夫と為る。只、学習の範囲は本能を超へる事は、不可能に近いと言ふより不可能亊で在り、近付く処が謂はば悟りに近ずるづく処で在らう。

 此処に、格技の限界と有用性が在る。

 謂はば、慣性と技法の責めぎ合い、自然と人智の葛藤が在る。最終的には、自然に馴染むしかないが、限界近く迄の接近を求める意味は在る。

 本能は、人智を知らず。工夫は、微塵程度でも自然を知る機会を持てば可とする、自然の恩恵に感謝したい処で在らう。

 野生は、産まれた処から力学的に自身の力で立挙がりぶら下がる能力を持ち、生き延びる。

 人為の知恵は、此処を認識した上での諦め無い稽古が、悟りに繋がる。

 単純に、火事場の馬鹿力が、其の限界と観る。

 其の上での人智、工夫・発明が稽古で在らう。
 


 

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