26.風流空手 風流曼荼羅 は 実技・観念
2019/03/21 公開
2019/06/28 差替
風流曼荼羅の、原理的思考から風流空手を設定し、師の存命時から離別後の現在に至る。
此の間も、和道空手の本質と本来の方向性を明確に見据えた解析を試み乍、伝承すべき心技と真偽の如何を思索する。
其の、流れより視野を拡張し、人間社会から知識に溺れる破滅的な人間達に、僅かに残る知性を探るとする。
近現代の、雑然とした社会の様相から推して、師の目指した和道空手の流れが大きく逸脱し変遷、特異的な変化を辿り内容の退化して行く危惧を感じ、心技と真偽の解析と伝承の内容確認を試みる。
其処に、和道空手の存在する場の概略を、現代社会に投影出来るか如何を意図する。
総じて、現代社会に於て、人為は自然界を凌駕すると信ずる利口で無謀な意図をも感じ、際限も無く横暴を尽し果ては自身に多様な災いを齏す社会から、其が少しでも緩和される途を探る巾、此も尽きぬ無謀な試みに繋げたい。
微塵にも満たぬ、人間社会の馬鹿気た妄想で、自身が生物界処か自然界の頂点に君臨し、支配すると言ふ傲慢な意識を感じ、此を妨げる方向性の示唆でも在る。
類似の、事例は限り無く在るが、人間は共生する細胞で成立つ生命体で在る事を見失う処が多々在る。
此の細胞集団は、特異的に制御が出来ず、異常増殖を始めると癌細胞として宿主の母集団を崩壊させる。
少しの、平衡が崩れると其が増幅し、特定の細胞が増殖し際限も無く母体を蚕食し、共々死滅すると為る。
視点として、本来の途方も無い自然界に身を委ね、其の調和の中で真摯に身を委ね受入れて貰う知性でも持てれば、可とする処で在る。
原理的に、自家撞着する一元の場が理解出来れば、知性が働くのかも知れぬ。
併し、知識に溺れた人間達が、矛盾と言う二元の場を発明し、数多が其の利便性に憑かれ己のみを主とする処に、自身の異常増殖に基く滅亡の奈落に向かう事で在らう。此処に、細やかな歯止にも為らぬかも知れぬ意図を持つ。
曼荼羅と言ふ、時空一元の“無”として存在する場に、人間が生死と言う二元の存在を持込み、生の安堵と死の恐怖を発明した処から、人間達の飽くなき欲望の増幅で、暴走が始まる。
此の、二元を設定し本来の曼荼羅と言ふ無為の時空一元の場を否定した人間社会。其の上に、刹那の生を常とし、永劫の死を異とした処は本末顛倒でも在る。
唯、此は大した問題では無く、本質の理解が出来た上での、思考・行動の認識は必要で在る。
只、個々人に拠って、柔軟に観る事が出来ぬ場合が圧倒的に多いと考へられる処が問題なので、虚実を容易に反転出来る思考位は望みたい。
此が無き故に、虚実も反転出来ず固定化して仕舞う愚を、犯す事と為る。
自然界に於て、微塵の如き瞬間の生が全てゞ、永劫共言へる死は無と決付ける処が問題なので在る。
勿論、己自身の認識として、奇跡的な生の一瞬で在る干渉状態は貴重な丈に、大切にしたい。
只、人間としての個体は、意識を持って長期生存を求めるが願望丈で不可能な難事で在り、此の認識は何人も否定出来ぬ事実で在る。
曼荼羅の時空に於て、生より死が永劫で生は瞬時に消へる、想像を絶する奇跡的な特異現象で、貴重な状態と観る。
物質自体が、特異的干渉状態の結果で在り、其の中でも極く希少な干渉に拠り物体が構成される。又、其の物体が存在し続ける為の、膨大な仕事を費やす事をも認識す巾でも在る。
逆に、多量の仕事量を蓄積する構成は、選り早期に安定を欠き瞬時の崩壊に至る。
曼荼羅の場に於て、螺旋様の変遷を幾重にも経た奇跡中の奇跡として、瞬時でも膨大な仕事量を費やし生命体が産出・維持される。
永劫の時を経て、数多の奇跡的偶然から物質が発現、物体と為り又其処から生命体の微細な単位として単細胞を創出する。其が、分裂・群生し、相互に存続し易い共生体として無意の存続を図る事と為る。
自然界と言ふ、曼荼羅の場は仕事量の平坦化に進むが、常に局所的な歪を持ち其処に大量の仕事で歪を造り、脆い平衡を保ち瞬時に失う。
不安定な状態に、励起され又無為な干渉を続け乍安定化、所謂る無為に至る。
奇跡的に、特異な干渉を存在させる事象に、何等かの安定した物質としての単体出現の下に、集合体の出現が在る。
此は又、二〜三程の安定した形態で個体を為し、其処から更により多様な集合体を成し、大量の仕事量を蓄積・消費し乍、又無意味に限り無い程の増殖と崩壊を成し乍、億兆の単位に止まらず集積し又拡散して行く。
巨大化に応じ、多量な集積には其れに輪を掛けて必要な仕事量を、級数的に増大して不安定化を増す。
注ぎ込んだ、仕事量が多い程構成体は選り不安定と為り、微弱な不均衡にも崩壊を来たし瞬時に崩壊・消滅し、又異なる歪を齏す。
多くの生命体は、不安定乍も構築と崩壊を続け、微妙な平衡維持を保ち其々の構成された共生個体が意味不明の存続を続ける処と為る。。
不合理な生態系で、個体の存続と又其等を複合し、選り巨大な個体に進化し易い条件を維持し存続する。
其の、規模・種類が増大すると、全体の統合は限界に到り破綻・崩壊を来し、輪廻は巡る。
其一部個体の中で、限界近傍を保存し乍存続中に、特異的な学習を経た多様な感覚の伝達機能を分化させ得たのが、生命体でも特に人類が超奇跡的と考へられる。
此の、人間と言ふ個体達が、其処に特殊な生死と言ふ二元性の意識を発明し、恐怖を認識する。
此が、人類の古代に発明した二元論の発端で在らう。此処に、自然界の連続性から人為の不連続への、傲慢な決別が在る。
此処から、恐らく万年程度の時を経て、恐怖を原点に知識を変性・増幅させ乍、欲望とし極度の利便性を持つ知識の坩堝に溺れ込む実態は、何等の進化も出来ず、何れ曼荼羅の混沌に戻る。
古代に、一元の無為から、安堵と恐怖の二元化が発明され其の個々が特異的に分化・増幅し、恐怖を欲望と摺り換へ其処から多岐に分裂・増殖、収拾の着かぬ行き場の無い問題を細分化し、解決不能な螺旋様の無限に様々な歪みと崩壊を齋し、奈落への増幅と収束を続ける。
時空自体は、単純に其を続け場は異常増殖・収拾不能・崩壊平衡を続けると為り、場の変動が移動する丈で在る。
以降は、知性の働きに委ねる処で在ろうが、知識の誘惑に溺れた人間達は、近現代から近未来に向け急速に知性と言ふ有機的な生命活動を破棄し、知識と言ふ無機質な機構社会へと辿り、不可能な永遠の生命を求め乍知らず知らず死の世界に紛込み、人為の早期崩壊に向かう。
文化蹂躙、文明謳歌が崩壊の象徴と為る。
此は、古代から其の侭増幅し細分化しつゝ継続され、文明として拡大し崩壊に至る一途で在る。
際限の無い崩壊は、二元化の終焉で矛盾の末路。此れ又、自然の摂理として所謂自家撞着の場に尽る。
扨、此処で多様な葛藤の下に、微塵の如き一つの手段として格技を見出す。
理論的な解析とは言へ、内容は前述の如く計測・計量は難題乍、推論的な内容は精々前後・大小・桁違い程度の比較で観るとする。
又、計量の基準は洋の東西を問わず、人体自身が基準の範囲として決まって来る。計数も、人間の知覚・感覚等から精々三桁程度と観られ、錬磨の学習から一桁程度の精度向上を経験・錬磨から求め、此処が格技に於いても多様に遣はれる部分と為る。
人間は、感覚と計数の全く異なる事物を混合し乍処理するので、多くの過ちは犯す。併し、知識に溢れた人間達は、生命体の限界を認識出来ず、此の点は古来よりの感覚的計測基準の、錬磨は重要で在った。
☆☆生命
☆格技
本来、生命体は意味も無く適度に増殖・共生し乍存続する。
此処に、一手段としはて広義の格技で多様な生存術は扨措き、狭義の格技を観る。
☆生存
本質的には、個体の増殖と個体自身も構成細胞の再生・破壊を繰返し、準安定的に存続する。
☆寿命
全てを含め、個体も当然寿命の限界を超へての存続は不可能で有るが、責めても自然の寿命限界程度迄の生存を求めたい。
☆技法
此処で、一手法としての端末で在る格技の、工夫が其の一端としての空手術に観る。
術と称するからには、力学的に単なる質量と加速度、特に質量に拠る慣性の優劣を競うより、躰躯の用法を重視したく、所謂巧緻運動を目指す。
☆☆風流空手
和道空手として、師から教授頂いた部分で理解を超へ、勝手に解釈せざるを得ぬ部分が在り、師の観せ得無かった処をも解析するとした、無謀を試みる。
勿論、師の一手は無数に変幻するので、全ての躰現は不可能で在り、教へを乞うと“其処は君研究して置いて呉れ賜へ”とされた処と、師亡き後には“無断”で解析した部分は多々在り、師の多様で具現され得無かった空隙を少しでも埋める巾、技法又は言辞で表現し、其処に風流の意を付す。
師は、空手術(離隔系)としての銘を打つからには、柔術(密着系)の気配を消した観を持つが、技法の根幹に柔術としての韻を残した上に成立つ気配を観る。
☆☆躰躯用法
簡便に、人体と事物の計測・計量基準を記す
必要な概数は、基本的には凡そ躰躯の存在範囲で在る。
事物の、存在としての意味は二通り在り、静止状態の存在と他が入込め無い状態の意味が在る。
我々、多くは実体としての存在範囲を意図するが、他を存在出来ぬ状態を意図する観方も在る。
前者は簡便に死、後者は単純に生と観ると判り易い。
後者の論は、難事の観を持たれるが、本来有機的な生命体の機能を、無機的な計測単位での表現は違和感が在る。一般論としては、凡その計測値換算は仕方の無い処で在るが、格技等に於いては当然生体としての判断で在ろう。
又、観測精度に関しては、特別に修練を積めば其の域は、一桁程度の精度向上が図れると思うので、此処に躰躯・感覚の千分の一程度が特に重要な閾値と考へられる。
※→存在の有無は、量子感又は結界とでも表現するも可。
空手術に於ける、人感の範囲・限界の概略を想定すると、此は順歩行の所作限界とも関連する一歩と観る。←※
☆距離・間隔
〔米/尺〕の対比
〔1米/3,3尺〕・〔1尺/0,303米〕
☆単位・表示
〔米 /1〕・〔糎米/100分1〕・〔耗米/1000分1〕・〔μ米/1000000分1〕
〔尺/1〕・〔寸/10分1〕・〔分/100分1〕・〔厘/1000分1〕・〔毛/10000分1〕
☆時間・秒
〔秒/1〕・〔耗秒/1000分1(o)〕・〔千分1耗秒/1000000分1(μ)〕
☆人感/速度
・10〔m/s〕・0.1〔m〕程度
・一〔尺〕・一〔寸〕・一〔分〕・一〔厘〕程度が目安
・〔石火〕残像程度
・〔音感〕10〔Hz〕〜
☆破壊/仕事
☆弾性/変形
☆加速度・仕事
☆力積・運動量
☆質量・慣性
☆速度・加速度
等々。
☆☆身体要素の基本
体躯、特に空手術に独特の用法。
☆伸縮・軸転
一般的に、四肢は筋腱・関節に由る伸縮・軸転に拠り遣うが、数多は此を別個に遣う。併し、空手術に於ては、此を同時に遣う事を日常の所作とする。
此が、石火の場でも瞬時に遣う錬磨が和道空手に限らず、格技の原点共為り空手術の基本でも在る。唯、此の錬磨が本能に勝る訳が無い。
☆☆立位・移行
☆直立・歩行
人類の、基本的移行法は、直立二足歩行とする。
☆他はいざ知らず、和道空手に於いて直立二足歩行は、隻足の立位を日常と考へる。
・躰躯の、重量を恃むならば術は不要で在るが、空手術を公称するならば力を恃む雙足の立位は居着くとして、好まれぬと考へる。
☆雙足立位・歩行に於ても、足底は床面と不即不離の感覚とする。
躰で歩く原点は、支軸足と浮遊足の交換は瞬時。
☆隻足立位
直立二足歩行動物として、立位に於いては隻足が原点で在る。
一足は支軸足、他足は浮遊足とし歩行の原点で在る。
☆☆力学的要素の基本
内容は膨大と為るが、空手に遣う基本点を若干列記する。
一般的に、躰躯内外の力学的内容の識別が全く為されて居らず、内部力学と外部力学の識別に関しては多様な混同に由る誤謬が在るので、一般的には難解と言へるが空手術に関してのみ為らず、重要な部分で在る。
基本的には、体内での仕事と体外への仕事が識別を考慮されぬ処に、問題の難点が在る。
※→囲碁・将棋を棋士が知性を遣ふか、多機能加算器に頼るかの違いと類似で、本人も識別出来ぬ事が多々在る。←※
☆動作・内容
基本的な意味の内容識別
・引きに関しての表現と意味の誤謬。
・極めに関しての誤謬
・力に関しての誤謬
等々、多岐に亘る誤謬の認識確認。
☆基本的運動
併進運動と軸転運動に関する概略(用法・理論が若干面倒)
☆慣性・慣性能率
質量の大小に拠り、物体の加速に難易の違いが在り慣性と呼ぶ。
物体の形状に拠り、物体の軸転に難易が在り、此れを慣性能率と呼ぶ。
併進・軸転は、各々の運動要素に概ね対応させて考へる。
難解の様だが、簡便に記す。
・慣性/慣性能率
・加速度/角加速度
・運動量/角運動量
等々の対比。
☆☆躰躯用法
躰躯を、体幹・四肢の併進・軸転に多用する。
体幹・下肢・上肢と、運動要素に特性は在るが、基本的には筋腱と関節を併進と軸転に用い、多様な攻防に遣う。
☆☆立位
☆歩行
直立二足歩行の人類は、立位が生存の基点と言へる。
・雙立/基本的には、静止時に重量を支へる。
・隻立/多用途で、日常的な総ての操作・移動の原点。
☆正立/二足均等・不即不離
立位は、左右何れにも瞬時に隻足立と為り、他足は自在に遣う。
一方を支軸足、他方を浮遊足とする。
結論として、所謂正立と言う状態は特に意味は無いと考へる。
立位の所作のみ為らず、支軸足と浮遊足は石火の交換を求められる。
☆☆歩行
☆隻足
直立二足歩行は常時隻足立
一方は支軸・軸転に遣い支軸足、他方は多様に浮遊足として遣ふ。
☆歩行
身体の転移は、歩行なので躰躯を移動させる事で、本来下肢は上体を支へる丈と観る。
表現としては、足で歩かず身体で歩くとする。
下肢は、転位する上躰を支持する用を為す。
足底は、床面と不即不離、着かず離れずの意識とする。
☆☆躰躯/併進・軸転
動物の主な動きは、人間を含めた多くの身近な動物では、四肢で移動し多様な働きをする。
此の、主な動きは四肢の筋腱と関節に拠るが、伸縮と捻転に拠る併進と軸転に在る。
只、一般的に併進と軸転を同時に行う所作は滅多に無い。
併し、空手術に於いては日常的に遣う所作で、特に意識せずに石火の場でも遣へる事を必須と考へる。
☆☆四肢
☆下肢/支軸足・浮遊足
世に言ふ二足歩行は、一足を支軸足とし躰躯の他、全ての重量を支へ、且つ軸転に遣う。
他足は、浮遊足とし全ての操作と、他への作用は全て此れを遣う。
但し、支持足は無為では無く、他から外力等多様な負荷に耐へ、支軸として遣う。
対象を、抑へる等にも遣う。
常に、支持・浮遊の瞬時交換が必須で在る。
・支持足と浮遊足の交換は衝突類似で、瞬時に行う処に束の動きが在る
☆☆歩行/順歩・逆歩
生存の為、他との接触に拠る多くの所作は、石火の反応を遣う。
又、身体の届かぬ範囲には、躰躯下肢を以ての移動をする。
此処に、用途に因る四肢の用法に違いを持つ。
☆順歩行
同側の上下肢を同方向に遣う。
☆逆歩行
同側の上下肢を対方向に遣う。
☆上肢
基本的には、左右の伸縮と軸転を、同時に反対の所作で遣う事が多い。
左右を、曲縮・展伸と内捻・外捻を対象的に遣い、慣れたら微妙な時差を以て全く同様の所作を併進・軸転同時に対象的に遣へる様にする。
☆形(形・基本組手)に於いて、多くは攻防の届かぬ間での稽古や意識が多いので、此を嫌う。
此処に、真剣勝負での寸止めの意味が解り、和道空手の求めた在り方が理解出来ると思う。
其処に、形の意味が理解される。
形で、理解し難い処も、明確に為るし遣い方も納得し、師の意図も垣間観る事が出来ると思う。
形の稽古は、原点に順歩行が在る事を確認して置きたい。
勿論、此は形のみ為らず、全ての所作に在る。
形に、諸手で同時に同様に遣う意識は持たず、別々に遣ふ、又微妙な時差で遣ふ事も可。
☆☆一般論
☆基本
・素突・素蹴・順突・逆突・順突突込・逆突突込・飛込突・飛込流突・手刀・足刀・拳も多様
☆☆形
☆基本操作から、全ての内容を含む稽古の要。
併進・軸転・施術迄、常に対人を想定しての所作。
☆受・払・併進・軸転等々、用法は個々で在るが全て連携を持つ。
☆☆基本組手
対人感覚稽古は、特に重要。型丈に為り勝ちに要注意。