23.風流空手 形 詳細

2017/05/29 公開


 形で、深く検証すべき点は多々在り総てを網羅出来る訳は無いとしても、当然の所作として認識して置くべき要点を明確にし、形態を含め順次詳解する。

 先ず、基本的な様式から其の意味を理解し変化に繋げて往けば、多くの所作に納得し習熟に向う事と思ふ。基本的には、総て三位一体とし無理無い安定した自然の流れで在り、意表を突く曲芸紛いの突飛な動き等とは程遠い、極く自然な何気無い所作に在り、他に急激な変化を見せぬ所作に在るとする。形態としては、如何様にも安定した態勢で応じられる事が肝要で、原点は歩行に在る。師の教へに拠る、“躰で歩く”事が求められる。

 歩行の形態を解析するに、基本的には躰幹と四肢の動きが一体化し、反動を用いず躰躯の総てが同方向に移行し目的に向う事で、全身が総和として目的に向う意味とは異なり、現代社会での一般的な移行とは、意を異にする。一般的に、移行は同側の上下肢を逆方向に動かす事を当然として在るが、此を逆と見る。同側の上下肢を、同方向に動かす事を基本の順とし、歩行の原点とする。日常的な、所作を考へるに常時“順”の歩行が原点に在り“逆”は、特異と観る。日常的な所作に、全力・高速で仕事能力を限界迄用いる動きの必然性は無く、意図する折にのみ柔軟な瞬時の加速度運動を求められ、其処で総ての動きを同調させる事を必然とする。

 鍛錬としては、順逆何等の制約も無く、寧ろ逆歩の全精力を注ぎ込む事は必要で在る。只、日常的な所作には順歩が必然で、急激な加速度運動は緊急時、対象に触れる瞬時以降にのみ、必要な力を加減して用いる加速度運動とする。

 順の歩行は、日常の所作の原点で在り悪路や山行等での移行や事物の操作が、典型的な処とも為る。

 空手と言う格技は、常に全力操作で最速を必然とする意識に根拠は乏しく、身躰鍛練には必須でも技法所作の錬磨とは意を異にする。

 歩行形態の基本として、隻脚で躰軸を鉛直に軸転併進させ、他脚は水平に等速移動させる。起りは、躰幹から始まる処に躰で歩く原点が在る。躰軸を、半軸転させ乍同側の上下肢を慣性的に振出し、必要な処で静止出来る事を目指す。躰幹部と四肢部の質量比から、四肢は躰幹に遅れて発しても遥かに大きな加速度で高速を得、目的位置に達し得る。此処には、慣性と慣性能率の解析を要するが、別途記す。

 躰躯の、全ゆる部分の滑らかな始動は躰躯の慣性と慣性能率の変化が、力を抜く事を要求される由縁で在る。一方を支軸肢とし、軸転させ乍全体重と負荷を支へる。他方を浮遊肢とし、多様な操作を為す。特に、浮遊肢足底は床面と平行に不即不離とし、一分の間とする。又、上肢も体側とは不即不離の意識で次の所作に流れる事が基本で、三位一体での所作と為る。総て、日常所作の内に、格技としては当然の破壊力を持てる“極”が必須である。極論として、此を基盤に持ち自在に遣へる処が、格技たる由縁でも在る。

 多く、舞踊や競技は自己陶酔の中で、見せる事が目的で見栄が決めで有るとしても、破壊力は不要で在る。然し、格技に於いて見栄は不要で、破壊力の在る極が強く求められる。見栄と極は、加速度と力の似て非なる内容と認識したい。此処に、格技の形と競技の型とに、全く逆の流れを求められる由縁が在る。

 形の流れは、極めた瞬時に他の動きに流れ、次の極迄は日常の緩やかな動きで流れる。然し、型に於いては、決めた後暫時其の状態に硬直状態を維持し、其後高速で変転し次の決めと言ふ硬直状態に入る事と為る。

 此処に於ける、破壊力に関する極めの概略は、対象に弾性限界迄応力を強め乍、衝撃又は破壊に導く事で在る。単に、始動から接触迄単純に全力を籠め速く強くの意識で、急激な衝突を以て作用させる事では無い。此処でも、破壊又は衝撃に対する誤った観念が常識の如くで在るが、其が正しい保証は無く万分の一にも満たない特殊解で、多くは体感と願望から来る観念論的な自己満足に過ぎ無い。破壊に至る極めは、対象の弾性変形に合はせた仕事が必要なので、単なる始動時や衝突時の強い作用と速度や、見栄は自身内部での硬直に拠る有害無益な仕事消費と知る巾で在る。

 競技としても、勝敗を決める事を目的とする空手道に於て、大前提は確実な“寸止”と“防備”が出来る“心”が必須で在る筈だが、現代の空手道競技を観るに、奇を衒って無知を騙す仕種を見せるかの如く、見栄が目的と為る挙動が散見される。競技で在る限り、判定者の理解不足も含め見へぬ技法は如何に破壊力を秘めた極が在っても、全く無意味な要素で在るらしい。逆に、格技に於ては見せる技法は全く無意味と言うより不可な事で在る。特に、指導者が空手の本質にも無知又は多少程度の知識や経験では、理解も判別も出来ぬ様相も感じられる。

 徒手空拳の格技が、今や全身安全具で覆われる空手道競技と為る事は必然で在らう。鎧兜で身を固め手甲具足で己を守る競技は、徒手空拳素面素小手での格技としての対応を捨て去り、格技とは似ても似つかぬ競技と化す。

 多くに、“寸止り”を“寸止め”と称する感を持つ事態に至る。競技に於て、決めと称した挙動を観るに満身の力を籠め、筋骨を固めた形態と気合いと称した大音声の奇声を張り上げて見せるが、本来的な破壊力と気合いとは全く意を異にする自己陶酔で、寸止めと称し乍実態は寸止まりと為る。寸止めとは、対象に接触する寸前に於いても力で固まらず、触れに往く状態が求められる。寸止りは、対象に達する以前に拳を含め全身を硬直させ、外部に仕事の出来ぬ状態で自身内部に仕事をし、肝心の破壊する仕事は自身の体躯を硬直させる処に費すと為る。力学的な比喩で、破壊力と精確度を考へるに、鉄砲玉と誘導彈の差と為る。

 如何にも、力強さを感じさせ見せ様とはして在るが、実態は威力が自身の体内で筋骨を固める為に消費されるに過ぎず、破壊の過程を理解されて無い。破壊力の強さを見せる為、山門の仁王か狛犬と同様の子供騙しか信者を畏怖させる飾物と為る。此処には、宗教的な観念論に支配される隙が生ずる。

 古来、格技の判定者は非常に高度な経験と感覚を研ぎ澄された者で、資格には本来的な意味は全く無い。一般的には、責めても大相撲の行司以上に修練を積む要が在る。相撲は、単純に足底以外唯一点の接地視認で勝敗が決まる、此すら判定は至難。空手は、人の認知能力を超へる八点認知が求められて在る。

 又、別に対峙者同士の感覚に対しては、乱暴な表現では在るが、寸当て共称される軽度の当ては、躰の部位を正確に急所以外の極く浅部への打撃は、多々有効な経験と為る。

 歩行に関しての、本質的な論を示す。

 人類は、直立二足歩行動物とされるが、現代に於いては消滅に近い存在と考へられる。現在、一般的に二足歩行と称して在る移行法は、強いて言はゞ単足跳行とでも称する処と考へられる。同側の上下肢を、反対方向に振る動作は反動で跳ぶ操作の基本で在り、下肢で接地面からの垂直抗力成分で強く跳ぶ事が原点と為る。同側の上下肢を、同方向に振る操作には、接地面との垂直抗力は期待せず、水平方向への移行を支へる。人類は、駝鳥と同様の移行形態とも言ふべき、高速の移行法で常に急く事と集団的な行動規制に由来すると見られる、人為の文明で在る。

 移行法は、歩行・跳行・飛行とでも分類出来る。

 現代の人類は、多く日常的に単足跳行とでも称する移動法で、駝鳥の走行と類似で在らう。日常の所作は、緩やかな起りの加速度と角加速度を求め、移行時は緩やかな等速運動に馴染むと総てに違和感を与へ無い。唐突で、大きな加速度運動は不自然で非日常の挙動として認識され、此は緊急又は危急時の挙動で在る。

 形の基本設定

☆☆方位

 ☆正面/子とし干支で表す

 ☆視線/水平方向を前方とする

 ☆躰方/視線と体幹の角で同方向を真身とし半直角直角を半身真半身とする

☆☆立位

 ☆正立/直立二足歩行の人類に執って格技の原点は歩行に在り隻脚立位が原点/正立は中心を両内足弓間に置き体躯は自在に揺らげ投影逸脱時は復元よりも束で転移出来る事を必然と為る/体の前後は両足踵部後端の接線を境界とするのが簡便接線が両足間に在る場合は特殊な状態と考へる

 ☆直立位/全身四肢体幹を重力に委ね重心線と身体軸を一致させる様力まず立つ/下肢は踵を付け爪先は両足の外足弓を直角程度に開き膝関節を硬直させない此が安定性の良い最低限の足幅と為る/基本的に両内足弓部を接する意味は無く不安定感を増す害しか無い/上肢は五指を揃へ自然に下垂外見上の揺らぎを減衰させる要素共為る/両足底間の投影領域は広い程前後又は左右の安定性は大と為るが変移に不自由で敏捷性に欠け居着く状態は強く為る此の兼合いは歩幅として個々人の問題と為る/投影面積は広い程足底領域は広がり安定性は増すが動きが原点の格技で在れば静止時の歩幅も自然な歩行時の歩幅が最適と言へる

 ☆自然体/両足は直立位より安定性を増す様下肢を体幹の幅程度左右に拡げる一般的に下肢を開く時は左右とし閉じる時も左右とする恐らく右効きの世界を基本とし先ず効足を軸とする習性程度の理由と考へる

 ☆自護体/自然体よりは若干広目に立つ/対する相手に捕られても簡単に振回されない力みが潜在する

 ☆猫足立

 視線を正面に後方の隻脚を軸とし膝関節で平衡を取る様にし乍自然体と同様の意識に立つ/体躯と視線が同方向から直角迄の範囲が在る/大別して真身半身真半身とする/表現としては前後足の荷重を三七として在るが内容としては零十を基とする/明確に後脚を支軸脚とし前脚を浮遊脚として遣う/此は歩行と同源で立位の典型で日常的とする/浮遊脚の自在な働きを意図し其の外足弓が視線方向か若干内輪程度が空手としては基本的な立位と為る/自然体からは当然三位一体で猫足立に変化する/体幹の向きと支軸脚は自然体から概ね半軸転範囲の位置で真身半身真半身を典型とする/軸遊の荷重比は十零とし七三が限度

 ☆自護体/自然体より若干歩幅広目で重心が下がる

 ☆四股立/自護体より広目両足膝から下腿下辺が半直角から水平に為る程度に腰を落とし前脛部鉛直程度を目安に確っかり立ち躰幹は鉛直

 ☆ナイハンチ立/自護体より両足踵を外方に押出す状態/外足弓を平行程度から若干前内方に立つ/対する内足弓を開くと押しには強いが前方股間部の空隙が弱点と為る/下肢両足膝を内側に折潰さぬ様両側に張気味に立つ/騎乗様に大腿内側から下腿内側を馬の背に沿い挟込み乍締付けぬ感覚

 ☆転位時の足幅/常に同幅が束の基本/基本に於て順突々込みから逆突々込み迄前足を軸とした四分軸転弧を描く位置が適切/但し基本的に後足が軸で前足は遊が日常的だが前後の軸は指定しない

 ☆転位中の足底/浮遊脚は常に床面と不即不離で一分の間とし外足弓は常に前か若干内方にし膝葢を体軸の内側に巻付かす様弧状に遣う意識

 ☆軸転中の躰脚/常に前記の足幅足底の遣方で歩行と同様とする/前後軸転時基本的には確実な半軸転を遣う意識とする/形の基本的軸転は真半身から逆の真半身迄で半位相即ち半軸転と為る/特に基本の形に於いて注意すべき点は半軸転迄の所作を求めたい/数多は四分軸転即ち半身から直角程度の軸転が多く師の教への半分しか軸転が出来ない事が多い他流系の真似か軸転が出来無いのか知らぬが形の意味を正確に把握したい/形には半身は無い程に考へた方が良い

☆☆上肢

 ☆両上肢/同時に同様の形態で遣う事は無く常に備へを主とした夫婦手として遣う

 ☆上肢/典型として上段受け中段突き下段払い等とする/其々の遣い方は多様で在る特にピンアン初段弐段に於いて詳解する

☆☆形

 ☆形と型の意/師独自の解釈を持つ/他はいざ知らず一般的に多く型の字が用いられたが師は形の字を強く勧し常に内容の意を諭されて居られた/各所作に於いて典型に固定された挙動では無く常に対象の動きに応じて変化出来る事を求める意識


 

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