18.風流空手 基本組手

2015/05/28 公開


☆☆ 基本組手/概論

 稽古の流れとして、基礎躰錬・基本・形に次いで、基本組手と考へる。

 又、此を基本挙動・用法変化と、内に在る基本や形との連携を確認、其処に習熟する。

 此処に限定される訳では無いが、自由組手に至る接触に因る対人感覚が重きを為す。

☆ 体感・体得・体現

 事物の学習過程は、事象を体感し体得の後に体現出来る様に為るのが一般的で、此処に思想と技法の正確な継承と進化が在ると考へる。

 多くに、己の肢体を度々直視確認したり鏡で視認して、可否の様子を見受けるが、此に多くを頼るべきでは無く、己の肢体が何処に在るかは見ずに感じ取る様、意を注ぐ必要が在る。

☆ 三位一体・束・先・備

 稽古の過程として、基本・形・基本組手・自由組手と経るのが一般的。

 此の総てに、転位転躰転技の三位を一体とし、束で先を取り流れが極り備へつゝ、又次の流れへと繋がり止どまる事は意識に無い。

 流祖大塚博紀師は、総て自由組手に向けての稽古とし、技の流れは常に変幻自在と諭されて居られた。

 然し、基本・形・基本組手・自由組手等々、和道空手と称し乍、其々別個の技法の如く対応し、指導されている節が散見される。

 入門当初は、個々の挙動を固定し、形式的な技法習熟に専念する事も可とする場合は在るが、其が稽古の過程で在る事を認識しなければ為らない。

 何時迄も、区分された形態に習熟する丈では無意味で、本質の理解が難しい。

 総て、動きは流れの中で一連の所作として遣う。

 永年、経験を経た指導者に於ても初心時の形態に止まり、個々の様式のみに習熟し其を伝承をする処を見掛けるが、其は本来の目的と異なる処と為る。

 師は、此の過ちを犯さない様、象徴的に“形”を用い、其の意を強く推し出されて居られた。

 残念乍、実態は此処に非ずで、多くは型の追求に終始し強要する意が強く、師の意図は雲散霧消の観と為って仕舞う。

 此の最たる処は、審査や競技等に於ける評価に、間々見受けられる。

 日本の、家元制度は揺るぎ無い正確さを持ち、非常に優れた思想と技法の伝承形態だが、此れに因る弊害も認識して置く必要は在る。

 其処には、象徴的な様式に終始、安易な階級社会を構築、権力支配と利益追及に専念し安住すると言ふ、陥穽に気付かない事が多い。

 本質を弁へず、形態のみを真似た組織が斯界の主流と為り、本末顛倒処か全く異質な組織として、利益を貪る迄に至る事が世の習いとは言へ、当然と言ふ世界も在る。

 大きな組織程、不透明。又、内に居ると迷走していても動きすら意識出来ず、船頭や乗客達は大船で高額な料金を払う程、大きな慣性の下で安心して泥舟に乗る感が強い。

 種の大群が、自滅に進む寓話の鼠と同様。遺伝子の、微々たる違いにしか過ぎない人も鼠も虫達も当然の結末として、消滅か得体の知れない混沌に分解されて逝く。

 和道の名称下では、何とか真意を定着させたい処では在る。

☆☆ 技法理念

☆ 技法品格

 技法の品位を大別し、往・流・捌の順と考へる。

 空手界に於いて、強さの象徴は見掛け上の観念的な分類で、此とは逆の順を強いられ、数多の支持を受けている感は強い。

 一般的に流布されている処は、見掛け上の強さが第一で、互いに強く接触しない様な対応は、空手の類型にも入らぬとも言へる程、逆の順で認識されている処が在る。

☆☆ 基本概念

 基本組手は、師が無数とも言へる技法を整理し、独自に規範化された十種の形態に分類、技法は臨機応変で在ると諭されて居られた。

 此の基本組手十本には、削落された技法が無限に近い程内包されているので、其等を見出してこそ、師の想いに近付く事が出来ると考へられる。

 又、不遜とは思うが、未だ削取れる部分が在るのかも知れないし、より多くの形態を遺す方が理解され易かったかも知れない。

 処で、風流空手では総ての事物に生命が在るとして、其の寿命・慣性・容量と知性の意味を考へて措く。

 寿命は、存在意義を失う迄の時間。慣性は、空間に於ける特異性の軽重。容量は、寿命が尽きる迄の変位可能空間。そして、総合的な量値の比較力と偏りの無い知識の蓄積量が相俟って、的確な判断の出来る事が知性と考へる。

 高度な、芸術家の創り出す一筆の線・一鑿の跡。此の中には、削落された空間も充満した場とも考へ其処に意が至ら無ければ、単なる汚染か凹凸で在り、師の嫌った見掛け丈の存在にしか為らないと思う。

 此処に、対する人の意識や知性の深浅軽重が顕に為る。

 師は、見掛け丈でも仕方の無い事と容認して居られたが、真意は不可とされている。
 自然の造形を真似て、塵芥を集める芸術家?が居たとしても、表現の意志を他が如何に受取るかは不明。又、獣の足跡落ちた花弁を、芸術と認識する事は憚られる。勿論、作為の無い自然の総てを美と感じ、愛でられる事は間違い無く素晴らしい事だが、此れを芸術とは言い難い。

 自然と芸術は、比較する意味が無い隔たった次元に在り、自然は総てを包含している。

 芸術で在れ技術で在れ、人為で在る以上は作者の結論に意思の表現が在り、多くの心眼に曝され評価される。

 障害を持つ作曲家が作った音楽に、国中?が感激したと言う話が在った。作者が異なっていても、良い物は良い。称賛していた作品が、他人名義だったからと知った途端に悪い作品に為る訳も無く、其の価値が変転する理由も無い。

 傾倒していた歌唄いが、薬剤で崩壊していたとて、何も変る処は無い。其れで、超人的な働きをすれば、人類の可能性を確認出来る理も在る。競技者なら、規則違反をした丈の話で在る。

 諸事の、善悪は真実で在る自然とは無関係な虚構で、社会の都合で決定している丈の亊。

 現代は、仕事量の多少が真偽と混同される社会なので、己が評価し意とした事物の可否を、規定で論ずる意味は無い。状況に因り、右顧左弁は無知を曝け出す事と為る。自身が真実を見失い、虚構に騙されたり、元々判断能力の無い大衆の一員で在る丈の話。此の社会では、何処にでも氾濫している日常の事で在る。

 一事態が過去ると、又々別の話が増幅伝播し暴走する。真偽を扠措き、可否善悪を設定し運営する社会に、遠い未来に思いが至る訳が無い。

 偏った知識が膨大な故に、時間の巡りに同期出来ず自身の寿命を基準として、宿主の自然を壊変、自滅すのかも知れない。

 唯々、虚構の煽りに財貨が蠢く社会で、総てが惚けて過ごすのも幸せな社会では在る。

 然し、自身が熱中して其の中で踊るのは個人の自由で在っても、他者を引摺り込む恥知らずな事は迷惑千万、有害で在る。

 何処かの国で、金儲けをして何が悪いのだと、啖呵を切った若者が居た。手法が悪いと司法で裁かれたらしいが、刑期を終へて罪は消へたと大手を振って伸歩く。他に蒙らせた迷惑は、弁済する必要が無い世の中で在る。

 己の人権を全面に、侵入危険の忠告も無視、多額の税を無為に使わせた人物が、謝るでも無く得意顔している社会でも在る。制止も聞かず死にゝ行った者の危機を、救う為の手間賃を国から出す矛盾は避けたい。況てや、好んで危機に飛込み、救助の仕方が悪いと賠償を強いる等を、言語道断と言ふ。

 然し、国を構成する三権自体が平然と電脳数値で機械的に判断された上、担当者の知性の無さには思考・判断と其の存在すら無意味に為る。

 自然と言ふ真実を、見失なう愚は何としても避けるべきで在ろう。

 五輪競技も、世の大金持ちから小銭持ち、有象無象が財貨を沢山掻き集め様と、又々社会を夜通し煽る日々が、手具脛引いて待っている。此れに乗るのは、思考を放棄し幻夢に彷徨う罪の無い?中毒症状の患者と同様、此の世を構成している数多でも在る事は事実で在る。何れ、負の遺産を残し代償を支払い続ける事が、文明の進歩と称賛される事と為る。

 古典落語の、花見酒は古代から未来へと、絶間無く続く実の話で在る。

 一犬虚に吠えれば万犬此に倣うと言い、実と為る。然し、一犬は実に吠え、万犬が実として伝えるが、人間は一人の虚に多数が倣い、結果を実と確定する怪談は、日常的に定められた法で実在して仕舞う。

 獣の世界に、意識した虚偽は無く。人間の社会では、意図した虚構は真実より多く、日常に在る。

 多数決と言う、根拠の無い真偽の決定法は、虚構の観念で願望の下に成立っている。

 現代社会の、主流を成す本質を無視した虚構の思想と、数多の欲望を実とする人類の判断基準は、元気一杯存続している。

 唯一?思考力有る人間様々が、真偽の判断能力を持たず願望のみを実とするとは、何をか況ん乎と言ふ不思議な世界では在る。

 獣と異なり、人は思考下での判断力があるので、人界では獣界より虚偽は膨大に増幅され、真は抹消される不思議な構造の社会と為る。

 多数での結論が正しく、市場経済が総てを支配し、思考力や羞恥心と言う人類独特の進化した感覚を消失させた群衆は、虚構を現実とする手品師か詐欺集団でも在る。

 多くの事物も、進化の果ては“本末顛倒”と為る。此等の根幹は、時物の軽重や時間の桁を認識出来無い、水準の低い知性に在るのだろう。

 如何なる思想も、社会を構成する個々が完璧と言ふ前提か、少なくとも少しの知性が、有れば如何なる主義主張も真として成立つ。

 前提が明確でなければ、総てが崩壊する事は当然の結末。

 此事を、多くが理解した上で、理想の社会が構成される。

 人間と言ふ、思考を持つ組織が社会を構成する根幹の事業は、個性の尊重とか言ふ馬鹿気た事より、僅かでも知性を養成する事が、遥かに重要な課題で在る。

 然し、何かと論じても、生命の意味は遺伝子の継承位迄しか解っていない。

 大分、ずれた話を引戻し。空手に於いて、多くの形を知る事も良いが、基礎的と言はれる形一つにでも、精通し知性を伴って会得する事は、難事でも肝要で在る。

 師からは、基本の形を繰返し指導され、其の中には師自身も、解釈し兼ねると言はれ、本人に委ねられる処も在り、此処に師への信を不動にする要素が在った。

 基本組手も、一部の用語・用法等を除き、多くは師自身の創作に近いと考へられるので、古典的な難点は在るとしても、本質は厳然として存在する。

☆☆ 技法心技

☆ 心と技

 互に、相手の気を読み合はせ、受手は揺るぎ無い正確な攻めを施し、捕手は常に先を取る事に専念。互いに、先先の先を究める稽古と為る。

☆ 受と捕

 受・捕共に、規範の形式は在るが、其れ以外に挙切れない程多様な変化を想定し、互いに接触した瞬間、躰で応じる。

 ☆ 技の基

 体勢・速度・急所

 如何なる場合にも、安定した体勢は自身の自在な動きの基盤と為り、必須。

 相手と接触する時点で、相対速度は多様に変化し効果も特定出来ぬ程在るが、接触時は零から極める感覚が望ましい。

 技を施す要所は、状況に応じ身体的急所と力学的急所が在る。

 急所は、接触時躰躯の肉体的・力学的弱点共々、其の要点を瞬時に感知し、平衡を崩し疼痛を与える等が有効。

 瞬時に、三元の式を解く感覚は日常の稽古しか無い。

 投・潰は、重力任せだが常に相手より先に、往く向きに誘導。此に、疼痛等を与へて平衡の破綻を増幅する。

 多くの場合、相手の束が乱れた処で、前腕等出来る丈先端を制し、此を通して体勢を崩し制御する事が有効。

 ☆ 基本技法

 先往・虚実・疼痛等

 起りを抑へ尽きを捕り、急所を極める。

 先を取続けるには、相手を常に死に躰とする。躰軸を崩し、筋腱を極限迄伸ばして制する等が有効で、其に応じた技法を施す。

☆☆ 形の用 

 別途、形の中で基本組手に遣う挙動例を挙げる。

 基本的には、虚を抑へ先を取り、容赦無く極める事さへ出来れば可とする。

 平安の所作を、何点か考へ充分に習熟すれば、基本組手の大方の対応が可能で在る。

 其他、形の用法等も含め多くの変化や技法は有るが、記述するには多くなる為、機を改め出来れば映像と共に記載したい。

以降 続


 

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