14.風流空手 形の奥

2012/02/23 公開


/ 形の奥に在る、何かを探り求めて、会得しよう。

 

☆ 共通要点

 形の、各論に入る前に、多々重複する部分があるので、共通する要点部分を先に記します。

 風流空手の、各所で述べた事の繰返しの詳解となり、多くは再確認と考へる。

 形は、自明の事乍、組手(自由組手)を念頭に置いての稽古法で在ると同時に、此れを正確に伝承する遺伝子でも在ります。

 此の、自明な意味すら解せず、道理の無い観念に取付かれた指導者や高段者が、此の世界に少なからず居るのは残念な事で、其処から伝承される内容は、空手と言う格技とは似て非なる、虚仮脅しの見世物で、空手の衰退処か滅亡に繋がり兼ねない事を、杞憂しています。

 此の様な、観念下の判定者に依る競技に於ける過誤は、空手の本質を消滅に導く事になる。

 此は当然乍、空手と言う格技の研究を怠った故です。

 現に、組手と形(型と称していた)は異質な存在として扱い、疑問処か違和感すら覚えられぬ傾向に在る様子。何れが空手なのか、空手道競技の指導者に確認したい処です。

 組手競技に至っては、面か拳の何れか一方は必然としても、両方に安全具を着ける意味は不明。両方では、所謂矛盾。況んや、足の脛、驚くべきは足の甲に迄装着するに至っては、空手と言う格技の、生命は感じられ無い。

 競技の件は扨措き、念の為に形の基本になる挙動の原点を確認すると、本来は其処迄の過程と其後の措置も重要で在り、当然格技の原点に到る事になるので、此の要点を二三挙げて置きます。

 

☆ 挙動中、長い静止の状態は無く、極め前後の流れが重要。

 多くは、極める挙動の静止状態を問題視するが、此は誤りで本質は其の前後の動きに在る。

 技を、如何に遣うかの過程が重要で、遣った結果の型のみに囚われては不可。

 世に言う、終り良ければ総て良しとは詭弁で、指定され留まる型の中に、伝承すべき事項は少ない。

 

☆ 格技に、硬直状態は無い。

 極めた瞬間には、次の動きに入って往くので、如何にも力を入れましたとばかりに、造物の鬼瓦か般若の様な顔で、硬直している異様な状態を多々見受けるが、無知を誑かす以外の何物でもないし、当人も誑かしているとは夢にも思っていない処が、始末に負え無い。 

 多くの、相当な経験者に於いても、硬直が極めだと信じ込んでいる節もあるが、此れは論外。

 恐らく、本質を考えられずに、形式のみを盲目的に伝承している結果でしょう。

 伝承の岐路を、過った事にも、気が付いていないのではないのかと思う。

 

☆ 三位一体、束での動き。

 技は、転位・転体・転技の三位が一体で施されるが、内容を分解すると、先ず転位(軸の併進)が在り、此れに転体(軸の回転)を乗せ、其の上で転技(仕事の伝達)と為る。

 起りから極め迄、総てが同時に滑らかに進行し、極まる瞬間は立方も束で、技に応じた状態となり、次の流れに転じる事になる。

 念の為に、師は束を両足のみの意識とし、両手は夫婦手と表現されていたと受止めていますが、感覚的には四肢は勿論、躰全体を束として遣う様に意識すると、考えたいです。

 

☆ 無拍子の起りが、大切。

 日常の所作は、何気無く滞りの無い動きの筈で、円滑で熟れた動きは自然に流れ、無用の滞りを来す様な硬直状態は無く、又調子を付けて挙動する事も無い。

 

☆ 同期させる、意識。

 総ての物体には、固有の質量があり、形状にも因る固有の振動数を持つので、対象の此等を感知し、同期させる事を目指す稽古は大切。

 起りから極め、そして其れに続く次の挙動迄、相手に纏わり付き何気無く吹く、風の流れを求めたい。

 自身を硬直させる事は、振動数を固定し動きの自由度が制限されるので、是非共避けたい。

 対象の、固有振動数に同期させ直ちに位相を反転させると、効率の良い仕事が出来。

 仕事をさせない為には、同期させない事が重要。

 此は、日常の所作から体感出来るが、具体的な稽古の中では、巻藁を突く時の感覚で会得する事が有効。

 

☆☆ 以下に、具体的な共通点を列挙します。

 

01/ 常に、如何なる動きにも対応出来る、意識。

 居着かず、浮足立つ事の無い、自然体での心身の備え。所作の基本は、単振動に還元される。

 滑らかな躰動の基本は、重力に身を委ねる起りから、固有の振動数に同期させる処に在る。

 調子を取って、常に飛跳ねるのは、自身の振動数を固定するので、弱い対象には可としても、前提とする強い対象には、弱点を曝す意味しか無い。

 

02/ 転位・転体・転技の、三位は一体。

 転位は束、自然な運足の併進で、歩行意識。転体は軸、振らさず重力に委ねた、落下感覚。

 転技は瞬、身を寄せて極める、日常所作。

 

03/ 躰軸は鉛直。

 多くの所作は、重心線と身体軸を一致させる事が、滑かで安定し多様な動きに繋がる。

 軸の傾きは、自在で急速な併進と回転の速度変化を阻害するので、それを復元させる為の時間と仕事に無駄が生じ、動きに致命的な遅れを生ずる。

 

04/ 組手の、備えが大切。

 組手が大きな目的なので、総ての挙動は組手の備えから始まると考えなければ、意味が無い。

 各挙動は、次に移る過程を用いる意識と技法を持つので、技を施した体も意も、其の場で凝固状態の静止は無い。

 往々、技を極め?た後、暫時の硬直状態を見受けるが、残心との感違いが多い。

 経験豊富な指導者でも、此の意を解せずに、空手の形と組手を遊離させている部分が在る。

 型のみを修めた経験者が、形と名称を変えた丈では、内容の変化は有得ない事は、当然。

 終には、形も組手も何れもが、空手に似て非なる方向性を持つ事に為るのは、必然かも知れない。

 格技として、事後の流れを意識した場合、対象を掴む・払う・弾く等の動作は利としない。

 

05/ 立位の基本。

 人類は、二足歩行が生存の原点なので、動作は片足で自在に立てる処から始まる。 

 此の基本型は、猫足立。真半身が相手(演武線)に最も厚み(抵抗力)を持つ立方に為る。

 一方、軸とならない方の足は、制動・転向・攻防等、容易に加速度運動を制御出来る備えに為る。

 又、基本的に両足を閉じる立方は、不安定で動きが束縛され、無意味と考えられる。

 

06/ 足音の無い、動き。

 滑らかな動きには、死に体と無駄は取除かれ、総ての所作で音は無い。

 床を踏む足音が出る時は、下向きの仕事をする事になり、水平方向の動き成分が失はれ、無意味な制動をする要素と為る。

 

07/ 往し・流し、捌き・乗り等が、施術の土台。

 此等の先に、多様な技法が発揮される事に為る。

 先ずは、往し。そして、流し。若干の遅れを取った次善策として、捌きや乗りと為り、力の世界に踏込んで往く。

 此処から、技の品位が判別される事に為る。

 

08/ 顔と眼は、演武線を差し、水平方向を茫視する。

 中心視野での凝視は、意識と視野の固定に繋がるので、避けたい。

 周辺視野での茫視は、詳細は不明でも広範な変化の気配に敏感で、素早い反応に適する。

 中心視野で凝視する場合、部分の詳細は明瞭であっても意識が固定され、感覚が狭まり変化の気配に鈍感で、反応が遅れ、瞬時の動きに支障を来たす恐れがある。

 又、意識面からは、目標とする自身より強い対象には、写真機の無機質な眼が必須。

 

09/ 自身の感覚で、身体各所を意識する。

 当然乍、四肢の位置と如何に遣うかは、見ずに感じ、常に矯めを持つ。

 稽古中、極め先を鏡に写して見たり、眼で追って確めたりせずに、技の効果を感じ取る事は必須。

 形に関する間違いは、一見些細と思はれる見過ごされ易い過程に多い。

 時差・行程・位置等、道理に叶った解釈は必須です。

 

10/ 常に、両手を活かして遣う。

 基本は、夫婦手としての連携した所作で、此れが束の感覚。

 両手を、同時に同じ様式で遣う挙動は、片方ずつ独立して遣う意識と考える場合が多い。

 又、両手で大きく円弧を描く動作は、前述した視野の視認範囲と、上肢の可働範囲を確認する意識と考えたい。

 可視範囲や可動範囲の限界では無く、駆使するに望ましい範囲と考え、対象を常に此の範囲に置く様にする事が、肝要。

 

11/ 補(全く余計な事)

 他所様に、異論を唱えられても持論は強く展開せず、其の人の言を聞取り理解する事は、大切。

 勿論、自身の理念に揺るぎが無い限り、確保しておく事は当然。

 師には、力む・掴む・閉足・儀礼・形式・誇示等々、理に叶わない事は好まれない節が、感じられた。然し、意を解せぬ者には、其の程度なりに見せなさいとも教えられている。

 此が、多くの誤解を招く結果とも為った事は、致し方無い。

 又、投技・逆技に就いての教えを乞うと、其の様な暇が在ったら突く方が速いでしょうと諭されましたが、師は柔術を自然体として、身に付けた上での空手なので、矢張り組打ち迄の研鑽は必須でしょう。

 師は、其の合理性追及以前に、道理が重要で有ると考えられて居られた様に思います。

 

☆☆ 共通な挙動例/数件

 

 起立/全身力む事無く、背筋(せすじ)を伸ばした良い姿勢。

 両足の踵を閉じ、爪先は適宜に開く。膝関節・肘関節等総て、硬直させず矯めを持つ。

 両手は、握らず指を揃え、自然に垂らした状態。

 

 用意/形、其々最初の姿勢。

 此処からは、形の挙動に入り、力む事無く自然に立つ。(一般的に足を開く時は左右とする)

 

 挙動/動きの基本は、常に先で前に出る意識。(後を引くと様相が一変する)

 

 止め/用意の姿勢。

 未だ、形は終了して居らず、収めには常に束の意識が必須。(躰共々手足の捌きは常に束)

 

 直れ/起立の姿勢。

 此処で、其の形は終了と為る。(一般的に開いた足を戻す時は左右とする)

 

 補足/用語の確認等、二・三件。

☆ 体の陰陽

 四つん這いになった時、陽の当ら無い部分を陰、陽に曝される部分を陽と考へる。

 

☆ 捨足等

 死に足とは異なり、四肢の一部として生きている。紐状の物を、制御出来る状態。

 此れは、四肢五体総てに必要な、共通の感覚。

 

☆ 総て、基本的には右利を対象に組立て在り、鏡像状態での形や基本組手も有意。

 

以上、一般的な共通部分の概略で、各部の詳細は別記する。

 


 

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