9.風流空手 形稽古 要領

2009/05/10 公開


空手に限らず多くの稽古事では、何等かの順序を追って習得する凡その指針がある。これに何程の意味があるかは別問題として、成立ちから考え丁寧に解析するのも厄介なので、簡略して辿ります。空手の発生・進化は先ず殴り・蹴っ飛ばしから、その後突き・蹴りの技法に進化、それの伝承を含め習得用に発展した成果が「形」でしょう。そこで、空手としては基本の素突き素蹴りは終了したとして、技法の習得・伝承をする、基本体系である形に行き着きました。形は空手の遺伝子、勿論格技であるから単独の稽古では、対人と言う重要な要素が欠けて不充分ではあるが、多くの根幹を成す要素を秘めているので、特に独り稽古には最適です。勿論、順序をなぞるだけも無意味ではないが、矢張り真剣勝負の意識を持っての修練が有効でしょう。又、日常所作の様に自然に動けることが大切で、当然ながら、各挙動の意味は充分に理解しておくべきです。唯、これは相当な経験者でも難解で、困難を極めると思います。然し、逆にこの理解を深める意識が、重要な研究指針になります。形の中には空手の総てが潜んでいると言えましょう。師は伝承の型は変えず、各挙動に対する理論的な裏付けを熱望されていたと思います。空手の合理化ではなく道理化とでも言いましょうか、風流空手はこの形を軸として、和道空手の挙動・所作の道理化追究を目指しています。殊に、形の各挙動起結時、特に挙動終了後の対応を、如何にするかの研究・解析は重要でしょう。

  1. 準備運動を兼ね、先ず正確に、充分な捻りを入れ、力を抜いて、緩っくりと、安定した姿勢で、滑らかに挙動しよう。自身の手足が目的の空間で、必要な考えられた状態になっているか如何を、鏡を見たり目で追ったりせずに、これで格技空手としての効果はあるのかの感覚を、定着させる様に意識し、何度でも繰り返し稽古をしましょう。何をやっても無駄にはならないとは思うが、限られた時間内での稽古なので、総てを有効に使いたい。空手の他には類を見ない、形(勿論各格技にも独特の形はある)と言う貴重な資産です。
     
  2. 形の稽古としては多少の違和感はあるかも知れないが、単独ではなく相手を付け、各挙動に関して実際に相手と接触し、体感をしてみるとその挙動の意味と感覚が、把握し易い。特に、使えそうも無い様な挙動に関しては、実感が得られると思う。
    「一芸は道に通ずる」と言う言葉もある、一つの所作・挙動を会得すれば、他の多くの挙動にも共通する使い方が見出せるでしょう。
     
  3. 極めに、少しは力を籠めて打つ。中々大変ではあるが、出来れば多くの形を幾つか続ける稽古も有効で、挙動が自然の所作として出来る様にするには、矢張り数多く繰返す事でしょう。力はそれ程入れなくとも、必ず一々極めの感覚を忘れない事が肝要。お座成りに順序を追うだけでは、たとえ力一杯続けても効果は半減以下と考えましょう。又、単独で何回続けて出来ても、人前に出ると一つだけでも大変で、非常に疲れます。筋力・持久力は個々人で、多少とは言えない程度の差はあるにしても、色々な所作に力を入れることは誰にでも、反射的にも出来ます。然し、力を抜くことは非常に難しく、自然・円滑に力を入れずに動く事は、求める状態を幾度も繰返し稽古して、形を歩行と同じように、身に付けましょう。
     
蛇足:
 形には多くの技法が秘められている。然し、型の上で総てが網羅されている訳で無い、形の流れの中に埋もれているものを発掘出来るか否かは、全く個々人の問題。総ての技法を使いこなせる人は幾許か? の疑問はあるが、空手に必要な挙動が数多く潜んでいる事は間違い無い、これを準備運動に用いない法は無い。大方は稽古始めに、外来の準備運動・柔軟体操を多用しているが、形をもっと有効に使うべきでしょう。勿論不急の部位を含め、局部的な柔解は大切ではあるが、直接使用する部位に関しても必要と考えられます。大雑把に、西医と漢方の様な感覚の違いとも考えられます。
 所詮何を遣っても、結果を有効にするか無効にするかは、本人次第という事で、負の成果が出る事もあり得るが、限られた時間内での稽古なのであるから有効に使いたいし、結果を正にしたいのは当然。そこで、各人の研究として掘り下げるという事になる。
 空手界の形と言う貴重な資産、幾ら遣っても減らない処か、遣う程内容が充実していく資産である。然し、道具と言う物は正しく用いないと害をなす状況も考えられる。如何なる道具でも使い方次第では益にも害にも転ずる事と同じ、空手界はこの他に類を見ない(勿論空手だけに在るものでもない)貴重な資産を、如何様に運用しようとしているのか、多くの疑問を感じる事は間々ある。曰く、形の選手は組手が出来ない、組手の選手は形が駄目等の風評。空手は格技、その修練と伝承の土台である形が、格技としての要を成さないとは、その原因は何処に? 相当に程度の低い指導者の弁では、その様な事はやっている暇は無いとか、想像を絶する反論にも遭い兼ねない、組手と形と何れが空手か? の反論もしたくなる昨今です。何れかが本物をやっていないのか、何れも本物ではないのかの結論しかない。否もう一つ、空手道競技の判定者が空手を知らないか、競技が空手では無いのかの結論もあった!

 

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