5.風流空手 基礎 1

2009/05/10 公開


師は、到達出来ない真を求め、完成の無い格技の追及をされた求道者であったと思います。何処の世界でも同じ様に、吾等が世界も「師は大塚博紀である」との看板を揚げつゝ、不肖の弟子達は師の求めていた事に、心を砕き追い求めたり、盲目的に後を追いなぞったり。過去を懐かしんだり、諦めたり。全く異なる方向へと走ったりと、無形の遺産に吸い付きそれを喰潰しながら、それぞれの道を採っています。師は、弟子たちの技法の運用に関しては、相当に寛容でした。然し、それに甘んじて勝手な解釈は許されない。本心は非常に厳しく、狭い穴(ツボ)に嵌らなければ決して可としない意識でしょう。然し、この考えをその侭押しつけたら、後継者は居ないと危惧していたと感じます。

師の空手を想うに、アントニオ・ガウディが無機物の建材で有機体を創造しようとする様な、図面の無いサグラダ・ファミリア教会を設計、未完の侭不慮の死を遂げた。然しその後も、意を汲んで果てること無い完成に向けて、未だに営々と建設中の事業と想いが重なります。

格技は、自由な日常の中で、己が弱いから負けない為に稽古をします。そこから派出した競技は、非日常の制約下で、己の強さを誇示する為に練習している感が多々見受けられます。その中で何時も、格技が競技に変性した後、本末顛倒する事への危惧を持乍ら過しています。

  1. 楽にして(師から常に教えられた事)

    常に円滑に動く為には、自然な姿勢と動作で、力まない事。辛い姿勢は求められても、苦しい姿勢は採らない。

    *辛い姿勢 日常生活の中で、常に経験している所作の中にある。然し、多くはそこで静止をすることが無い為、気付かずに過している不安定で難しく辛い状況はある。

    *苦しい姿勢 日常的ではない、不自然な姿勢。当然、身体の動きは不自由な状態、例え辛くはなくとも、次の動作に制約がある。
     
  2. 緩やかな動き(平衡を取る難しさ)

    転位する時は、束の運びで緩やかに! これは相当難しいが、習熟する必要はある。

    *多少はあるにしても、「力を入れる・速い動き」等は、必要な時には誰にでも本能的に出来ることであるが、安定した姿勢で「力を抜いた・緩い動き」という日常的なことが、特に緊迫した意識の下では相当に難しいので、その修練は必須。
     
  3. 技を利かせる(極めの感覚)

    極めると言う事は、極自然に日常的に行われる必要な所作である。

    *一撃必殺という空手界では常識的な意識は願望・幻想で、力任せにガチンと当たって破壊すると言う事ではなく、ストンと打込む感覚が必要。
     
  4. 鏡を見ない(身体の位置感覚)

    己の状態を確認する為には、先ず自身の意識で感じることが肝要。

    *空手の稽古では、鏡で己の状態を見て修正する事が大変重要視されている様ですが、その前に先ずは己の状態が如何なっているかの確認を、意識で感じ確める必要がある。敢えて言うならば、鏡は見るな!

    師が、型を排し形を要求したことの意味を、正確に伝承したい。
     
  5. これから如何する(残心の意味)

    所作と所作の間の、意識と技法を大切にしたい。

    *基本・形等全てを含めて、挙動の合間は一見静止しているし、次の挙動は約束されているので、その形式だけを追い易い。然し、この静止状態の次の対応を知らなければならないし、次の動作に移っていく過程にも、相手に対応する意識と技法が必要。
     

 

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