2.矛盾は無い

2008/07/21 公開


 故事に在る、「矛盾」に関して。

 風流空手の対象は、半ば以上を水分で構成されている柔軟な生命体同士の接触によると仮定すると、攻撃・防御共に衝撃波としての仕事交換が力学的な原点と考えられます。

 そこで、攻・防の矛・盾は固体ではなく袋に詰めた流体(液体)様に設定してみます(一般的な固体と流体の差は時間経過や接触時の相対速度によると考えられる)。

 従来、空手の突き蹴りは剛体による破壊力、受け捌きも剛体による阻止力が本質と考えられており、空手に限らず格技とは、何れかが破壊されなければ意味が無い様に、観念付けられています。然し、彼我共に生身の肉体を想定すると、余り理性的では無いような気がします。そこで、対象の構造は水・氷を入れた氷枕様の物と設定、攻めの突き蹴りと、その受け捌きを考えます。攻めは、空手の一撃必殺の願望からは乖離するかも知れないが、対象に接触した時点で衝撃波を送込み。受けは、それを如何に回避・放散させるかです。

 攻めの突き蹴りの始まりは、対象に接触してからと考えられるので、拳そのものは速いに越した事はないが、出だしという起りからの速度は、無闇に大きい必要も無く、それよりも如何に対象点との間を詰め接触させるかの問題です。拳は例えるならば、鉄砲玉ではなく誘導弾の様なものと考えると、転位・転体・転技の三位を一体としたい意味が解ります。但し、「極め」即ち接触した瞬間に衝撃波を送り込む、炸薬に相当する感覚が無ければ、空手処か如何なる格技にもならない。速さと力のみに頼り、何物をも叩潰す怪力か、何者をも弾飛ばす筋肉があれば技法は不要で、これは矛盾の世界、格技の心とは無縁です。格技としての理想から放れた競技者は、何れ矛・盾で全身を鎧う事になるのでしょう。

 前提が不備である限り、矛盾は際限なく続く。


 

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