ご挨拶



顧問・空手部師範
槇 英哉
「 感 謝 」


小樽商科大学空手部創立50周年、おめでとうございます。

空手部創立以来半世紀、時の流れは速いのでしょうか遅いのでしょうか? 全てに平等な「時」は、感覚的相対性理論で過ぎる様です。処で、本学の空手部は倶楽部としての承認以前から活動をしていましたので、実質的には50年以上の歴史。これは、北海道内の空手道場としては十指に入る伝統の古さでしょう。当時、敗戦後10年余、食い物も碌に無い貧しさ故の懸命さからか、学生が真剣に藻掻いて居る時代は国も民も成長期、青春真っ只中で、皆必死。OB諸氏は戦後の復興から高度成長を遂げる時期に、企業の最前線で活躍されて来ました。卒業後には、学生時代の空手に後ろ髪を引かれる暇も無く、社会での活躍に人生を磨り減らして来られたと思います。然し、学生時代の部活動は仕事の中での大きな力となり、人生の支えになっていたことでしょう。今の爛熟した社会では、全身全霊心身を力一杯使う機も無し気も無し肝も無し。多くは、仮想で現実の体験をしたかの如き幼児性から脱却できず、寂しく空ろな世の中に「実」を探して右往左往、目標を見出すことも困難なのでしょう。仕様が無い、この経済万能主義社会、手っ取り早く金儲けでも!が王道となる。本来、「物が欲しくて金が要る」が、「金が欲しくて物を売る」の本末顛倒。そして溢れ返る物と金、不平不満の大合唱。然しこれは天に唾、自ら選んだこの治世、これが進化で此の世の慣い。某国の宰相は「美」が国家の目標だとか、真善美の最下位を執る、主観で如何にでもなることを理想に挙げて国民を騙す。目を閉じれば、何も見えずに全ては美、真は愚か善さえ見えない悲しき国家。どうも己の性は変えられず、つい何時もの調子で余計なことを口走って仕舞いました、御免なさい。

扠、本学での最も古い記憶は、半世紀以上前のことで全く夢幻の彼方。定かではないが、寮で麻雀をしたことと、何かの祭典の折り、丸太掛けの舞台で演武したこと等が、妙に頭に残ります。記憶を辿れば、正門を入った左手、今の守衛の建物の後ろの方の海側に、学生寮がありました。木造で、北大の恵迪寮より薄暗い感じの階段を上がり、突き当たり辺の部屋で同期の田中矼と二人、函館へ行く途中汽車賃でも稼ごうかと立ち寄った様な記憶。それと、何かの行事で丸太を組んだ舞台があり、形とか組手の演武をした様な遠い記憶があります。その後は昭和40年春、偶々櫻陽高校に転勤して以降現在迄。これに関しては40数年間のご縁で書き切れない程のものがあり、又何れかの機会にと思います。唯着任早々には、放課後櫻陽から商大まで自転車で、半刻程も掛けて練習に行きましたが、着いた頃には練習時間は早くも終了。これは不味いと、次の年には中古のバイクを仕入れましたが、これも雨や雪には弱いでお払いバイク。次は、丁度発売開始になったばかりの軽自動車、ホンダのN360を手に入れ、これで万全。後は、車種と道場が幾度か変遷し現在に至ります。色々なことが有った様な無かった様な、アッと言う間の40年余。この間は、省略いたします。唯、小樽に来て、北大空手部のOBなのに、この小樽商科大学空手部に和道空手の「粋」を定着できればとの思いはありました。着任早々、監督をさせて頂き、部員の皆さんには引っ越しの手伝い等をして頂いたことは忘れもしません。又、倶楽部としての永続性確保の為に、形態の確立と言う事を無理を承知で「練習時間の確定・部誌の発行・OB会の設立」の三点を、部の皆さんにお願いしました。唐突に大変な要求とは思いましたが、部員の皆さんには快く採り入れて頂き、確とした部としての活動が定着しました。途中、部としての危機的なこともありましたが、上記の三つの拠点が確保されていた為に、部の存続と専用道場の確保をしつつ、何とか現在に至っています。幾度かの道場移転に際して、専用道場の確保が出来たのは、現役とOB会そして部長先生の大きなお力添えによるものです。恐らく、私が一番多く道場の恩恵を受けているのではないかと思いますので、以上諸々の事を含めて、心より感謝致して居ります。尻切れ蜻蛉のようですが、今後も小樽商科大学空手部の発展とOB会会員皆様のご健勝を祈念しつつ、古い記憶と祝賀に関してはこれ位ご容赦願います。年賀状にも書きましたが、干支も七巡目「有難い・勿体無い」を大切に!残る刹那を過ごしています。

 空手の技法や様々な事象に関しては、別な窓口で本学空手部とこのOB会を通して発信させて頂きたいと思って居りますので、宜しくお願い致します。

(H19/9/1記)


顧問・空手部部長
佐山 公一
日本の文化を受けつぐ『開かれた空手部』として


6年ほど前,当時部長であった山田元学長に代わり,空手部部長を拝命した.空手部は2007年創部50年の節目を迎えた.単科大学にありながら,50年の長きにわたり部を維持してきている影には,槇師範,および空手部のOBの方々の並々ならぬご努力があったことと推察する.空手の歴史が実質的に戦後に始まったことを考えれば,50年の歴史の重みが分かるであろう.

かつて自分も空手(和道会の)をたしなんでいた経験から言わせてもらうなら,空手には自分の体をコントロールする面白さがあると思う.とくに,柔術と沖縄空手を融合させた和道会空手は,自ら自分の体を極限にまでコントロールする技術の集大成であると素人ながら思う.

柔道がすでに日本発祥の文化として世界に発信されているのに比して,空手がまだその域に達していないのは残念である.単なる日本の伝統文化にとどまるのではなく,野球がアメリカ発祥,ラグビーがイングランド発祥の文化であるように.空手も日本発祥の文化になってほしいと心から願う.

一昔前なら6年前などたいした昔ではなかったが,変化の激しいことこの上ない世の中である.生活の基盤そのものが急激に変化する.変化することそのものに慣れようとはするが,早すぎてなかなかついていけない.ふと気がついてみると,何をするにもパソコン上で検索をすることから始めるように多くの人がなっている.

2,3年前であったと思うが,空手部OB総会で,大手の銀行の役員をなさっているOBの方がこんなことをおっしゃっていたのを覚えている.曰く,日本人の価値観は,農耕社会の価値観そのままである.村の田んぼで,農民が一斉に田植えをする.苗を植えるのに一人だけ先に飛び出していては村全体の利益につながらない.それで,苗を植えるのが早い人は,まわりの遅い人を助ける.集団としての利益を最大にしようとする.日本は2000年の農耕社会の歴史を持っているから,このやり方は変わらないであろう.世界の企業と対等に立ち向かうことを余儀なくされている企業も,この考え方のまま効率化を進めていけばよい.

8月11日付け日経新聞のインタビュー記事で,アメリカの経営学者ジム・コリンズ氏が,世界規模の企業は国であるから,能力の高い人を選ぶことが大切である,というようなことを述べていた.企業のグローバル化が進み,世界をまたにかける巨大企業ができつつある.トヨタやジェネラルエレクトリックといった会社である.こういった会社は,社員の数,歳出・歳入の規模が小国並みというだけではなく,社員ひとりひとりがその会社独自の考え方をし,社員であることに誇りを持っている.コリンズ氏によれば,多様な価値観をもった大勢の人間がいて,それぞれが集団の効率的な運営に関与することが,これからの会社が永続するための条件であると言う.

コリンズ氏が主張していることは,OBの方が言われていたことと同じではないか.もともと日本人がこれまで行ってきたことと同じことのように思える.そうであるとしたら,日本人もそれほど自らを卑下する必要など端からなく,素直に自分の文化を発信すればよい.イチローにアメリカ人大リーガーのようなパワーはないが,日本人の体力にあった野球をして大リーグで成功をおさめているのと同じである.

空手の世界にも同じことが言えるはずである.幸いにも,商大空手部にはしっかりしたOB会組織がある.OB会は高い技術と見識を備えた集団である.小樽商大という一つの大学の中,あるいは大学の世界の中だけで空手を考えるのではなく,これからは,どうやって和道会空手を世界に広めていくかを考えていく時期に来ている.商大空手部が世界に羽ばたく空手部であってくれることを願ってやまない.

(H19/8/30記)


OB会会長
田尾 延幸
空手部OB会ホームページ開設にあたり


空手部卒業の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

本年、空手部創立50周年を迎えました。創立記念として数々の催しが記念実行委員会(委員長西池君 昭51年卒)において企画中でありますが、そのひとつとして、IT化時代においてOB会が末永く繁栄し、固い絆を結ぶための情報・意見・近況等を交換する場が必要との総意により「商大空手部OB会ホームページ」を開設することになりました。

記念実行委員会副委員長の藤田君(昭57年卒)が中心となって作成され、このたびここに開設いたしました。委員の皆様に感謝するとともに、OB会の皆様がホームページをより身近におき、大学への意見具申、後輩へのご助言を含めご利用いただけたら幸いに存じます。

(H19/7/23記)
  

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